運営者プロフィール

氏名鮫島 裕一郎(さめじま ゆういちろう)
出身地千葉県千葉市生まれの東京育ち
サイズ身長178㎝
血液型A型
趣味漫画、サッカー観戦、子供と公園巡り
特技高速ブラインドタッチ(ただしミスタッチ多い)
資格基本情報技術者試験、ソフトウェア開発技術者試験(現:応用情報技術者試験)

プロフィールページをご覧頂きありがとうございます。演劇Web屋を運営してる鮫島です。

ここでは、私のことを長々と述べていきます。興味ありましたら読んで頂ければ幸いです。

鮫島はこんな人

一言で言えばいろいろな事を広く浅くこなす器用貧乏。特にパソコンを使う事は大概できます。性格的な事で言えば、細かな事に気づいてフォローする事が得意な為、前に立って突っ走る人のサポート役が適任かなと自分では思っています。

演劇界との関わり

もともとは大学時代のサークルの先輩である冠仁さんの舞台を観に行った事が始まりでした。長いこと、一人の客として観る立場でしたが、円盤ライダーの公演に謎解き制作として関わったのをきっかけに、演劇との関りが深くなっていきました。

今では、劇団Web制作&管理、舞台配信運営、配信チケット販売管理など、いろいろと手伝わせて頂いています。

鮫島の経歴

就職してから最近までの経歴を述べていきます。

大学院卒業後プログラマーになる

理系の大学院を卒業後、新卒で某大手メーカーに就職しました。大学時代の専門は電気工学でしたが、自ら希望しプログラマーへと転身。2年間、仕事をしながら幅広くプログラミングについて学ばせてもらいました。

給料をもらいながらプログラミングの勉強をさせてもらえるという贅沢な環境だった為、学生時代とは比べ物にならないほど必死に勉強しました。

お金を払っていた大学時代より、お金をもらっていた会社員時代の方が必死に勉強をするなんて、我ながらおかしな話だと思いますが、そういう性分です(笑)

その甲斐あってその2年間で、

  • 基本情報技術者試験
  • ソフトウェア開発技術者試験(現:応用情報技術者試験)

2つの国家試験に合格することができました。

その後1年間、後輩プログラマーを育成する部門に居座ったのち、開発部門へ異動。
3年あまり、1台あたり何十億円もするちょっと特殊な製品のソフトウェア開発に携わりました。

実際に手を動かしてプログラミングするというよりは、何十人ものプログラマーを統括するマネージメント側の仕事だったので、とても良い経験をさせてもらったなと思います。

30歳になったのを機にイベントプランナーに転身

給料は非常に良かったものの、なんだか悶々とする日々を過ごしていた為、このままでは精神を病みそうだと感じて転職を決意。

誰かを笑顔にするような仕事がしたかった為、全く畑の違うイベント制作会社へ転職しました。

しかし、転職してまもなく、業界の黒い部分を見てしまい3か月ほどで退職。
自分の望む仕事は自分で作ろうと思い立ち、突発的に起業します。

それから約14年、ブライダル系のパーティーや謎解きイベントをプロデュースするなど、いわゆるBtoC系イベントプランナーとして活動してきました。

40歳を過ぎて子供が生まれた事もあり新たなことに挑戦中

そして、現在。
40歳を過ぎ、2児の父となったこともきっかけに、新たなことに取り組んでいます。

フリーランス向けのWeb集客サポート

これまで自身で手掛けたイベントのWeb制作やマーケティングなどの知識を活かして、個人で事業をしている人の集客のお手伝いを始めました。

私一人で頑張るよりも、頑張っているいろいろな人の活動を広げられれば、より多くの人を笑顔に出来るのではないかと考えています。

ブログでのアフィリエイト

フリーランスの人のWeb制作や集客サポートをなるべく安価にやりたいなという想いと、子供と一緒にいる時間を増やしたいと言う想いから、副業としてブログでのアフィリエイトを開始。

Web集客やマーケティングの知識を活かし、副業とはいえ、時には本業を越える収益を上げる事もありました。

最近は、ブログのテーマがブライダル系だった為、コロナの営業を思い切り受けてしまい悲しい状況に陥っています(笑)

これからも色々と挑戦したい

根本にある、より多くの人を笑顔にしたい思いを胸に、これからも色々なことに挑戦していきたいと思います。

鮫島の趣味嗜好

せっかくなので、趣味についても少々述べておきます。

漫画

子供の頃から漫画をよく読みます。

スポーツや医学、法学、料理など、自身の専門分野以外においては大概の知識を漫画から得ている為、妻になんらかのうんちくを話すと、

「そのネタ、漫画で仕入れたんでしょう?」

と言われ、あまり信用してもらえません(笑)

サッカー観戦

Jリーグ開幕時、高校の同級生に浦和住民が多かった影響で、浦和レッズサポーターに。

一時はゴール裏で飛び跳ね、歌い、叫び、ブーイングする熱心なサポーターでしたが、禁煙はスタジアムに行くことも無くなってしまいました。

近い将来、子ども達と一緒に埼玉スタジアムに行くのが小さな夢です。

子供と公園巡り

コロナ禍になってからより、子供を連れて公園巡りをするようになりました。GoogleMapで少し広めの公園を見つけたら、遊具や景観をチェック。良さそうだと感じたら、少々遠かろうが自転車で向かいます。

最近は自転車で行ける範囲の公園は行き尽くしたので、車での公園巡りも多くなってきました。

鮫島の生い立ち

せっかくなので生い立ちについても書いておきます。

幼少期

生まれは千葉県千葉市。同世代の子どもが多く住む団地で育ちました。

両親共働きでしたが、団地内のどっかしらに友達がいたので、常に誰かと遊んでいた記憶があります。
遊具もあるし、危なくないし、今思えばとても恵まれた環境でした。

性格は「真面目だねぇ」とよく言われるような子でした。

本人としては、親や先生にこっぴどく怒られた記憶も多いので、実際にそんなに真面目な子ではなかったんじゃないか?とも思っていますが、今でも真面目と言われるので、まあ真面目な子どもだったのだと思います。

小学生

小学校2年生のときに千葉から東京へ引っ越します。

小学生になったら友達100人作るぞー!と張り切って友達を作っている最中に転校させられた為、その後、見事に性格が歪みました(笑)

そのこともあり、自分の子どもには転校を経験させたくないなという思いがあります。

中学生

1年、2年時のことはあまり記憶になく、すごく楽しかった3年のときの思い出だけ残っています。

同じ高校に行く同級生はいなかったこともあって、卒業のときはとても寂しかったです。

高校生

都内のいわゆる進学校に入学。
いきなり勉強のレベルが跳ね上がったので、最初の中間テストで赤点を取るなど、落ちこぼれに。

高校2年の2学期に物理の試験で生まれて初めての0点を取りました。

「文系科目が苦手なのに、物理もできなかったら大学に行けないじゃん!」

と、その0点を機にようやく焦りだし、本気で受験勉強をスタート。

その甲斐あって、大学は第二志望でしたが現役で合格できました。
あのとき、0点を取って本当に良かった(笑)

大学生

大学では再び勉強しない日々がスタート。
サークルとバイトに明け暮れているうちに、就職活動に乗り遅れて大学院への進学を決意。

内部進学だったものの倍率2倍の試験があった為、そこでようやく必死に勉強を開始。
なんとか無事に進学できました。

勉強に関しては情けない限りですが、サークルとバイトで培った実務能力は、今でもとても役に立っており、大学時代の経験は大きかったなと実感しています。

なお、大学1年のとき、演劇界に関わるきっかけとなった冠仁さんに出会います。思えばもう20年以上の付き合いなのかと思うと不思議な感じがします。

大学院

専攻は電力系統工学。
修士論文のテーマは電力系統の可視化というやつで、大停電が起きるときの様子をシミュレーションして検証するといった事を研究してました。

研究の前段階として、東京電力の電力網を再現し、大停電を起こす必要があったのですが、電力網があまりにしっかりし過ぎていた為、シミュレーション上でも停電を起こすのに四苦八苦。
原発を無理やり2基停止させて、ようやく不安定な状態になるほど強固な電力網に驚きました。

その約10年後、東日本大震災で研究時と同じような状況が実際に起こるとは因果なものです。

あの困難の最中、東京電力に就職した同期に「大丈夫?」と連絡したら、

「必死にがんばってるけど、もしかしたらやばいかも。ごめん。」

と返事がきました。

あのとき、電力不足や計画停電のことで東京電力は非難されてましたが、現場の人たちは大停電が起きるギリギリの瀬戸際で、不眠不休で頑張ってくれていたようです。

当たり前のように電気が使える事に、感謝。

東京電力には現場の努力が報われるような組織になってもらいたいものです。

演劇Web屋運営者プロフィールまとめ

長々と私、鮫島のプロフィールをお読み頂きありがとうございました。

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